遊びとそうではないもの

 

 山のガイドが、自分の仕事以外で山に登る必要性には、いくつかの理由がある。

 

 

 ガイド仕事は、ガイド自身の経験やスキル、資格などによって異なる、それぞれの引き受けられるリスクの範囲内で業務として行われる。

 

そのうち安全に関わる部分においては、自身が持つ、登山家としての、山での「余裕」の部分を使ってゲストを案内することになる。

余裕は貯金と言い換えてもいいかもしれない。

 

ガイドがガイド仕事ばかりしており、

経験やスキルを磨く個人山行としての「稼ぎ」を行わないと、

貯金はあっという間になくなってしまうか、常にカツカツの状態でガイド仕事を行わなければいけなくなる。

 

しかもこの貯金は生ものであり、錆びたり、腐ったりもする。 

 

ほうっておくと、余裕はなくなり、危険でさえもある。

 

 

ある程度の年齢にいった経験豊富なガイドさんが、ガイド仕事ばかり行っているのは、、若かりし頃の貯金がたくさんからで、若いころに稼いだ貯金がたくさんあるからだ。

 

が、若いガイド(いい年してても山の経験浅い人も含む)がこれを行ったらどうだろうか。

 

 

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「山岳」ガイドが行う個人山行は、決して「トリップ」なんて言葉で表されるバカンスとは違うのだ。

気分転換やスキルアップのためだけに行くものでは、断じてない。

 

まず、前提として、

 

夢があって、

 

出来れば、

 

困難をともない、自分を成長させ、不断の努力を要求とされる山行。

 

そういったものを出来る範囲で少しでも続けていかないと、貯金はあっという間になくなるか、遺産をくいつくしては、腐っていく。

 

それが、例えばアラスカやヒマラヤでなくてもいい。

裏山でも、創造力を駆使すれば、わづかでも自分を成長させてくれるものは見つかるはずだ。

 

 

だから、いつまでも、挑戦を続け、白馬でも、アラスカでも、ヒマラヤでも、

 

その過程でなくなってしまったガイドたちは、

 

本当に仕事に対して、真摯な、本当の意味でのガイドなのだと思う。

 

ガイド仕事中にゲストを亡くさないために、人を助けるために自分の命を犠牲にしていったとも思えてくる。

 

あるいは、僕らにふざけたガイドになるなよ、と警告を発するために。

 

 

 

 

 

 

 

                  死ぬまでガイド仕事に対して憧れを抱き、

             真摯な姿勢をつらぬき通した友人たちに、想いをよせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有り難う、と伝えたい。

 

 

YH

 

 

 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    Yui (月曜日, 25 7月 2011 22:20)

    素敵な方ですね。
    感銘しました。
    私は別に登山が趣味ではありませんが、一度思い立って富士山に登ったことがあります。
    頂上へ辿りついた時、自分にもこんなことが出来るんだと少し自信が持てたことを思い出します。

  • #2

    USK (日曜日, 04 9月 2011 23:40)

    Yuiさん、
    コメント、遅れてすいません。。。富士山、いらしてくれてありがとうございます!