「神様百名山」はじまります。

23日発売のエイ出版ランドネ11月号より「神様百名山を旅する」と題する連載をはじめさせて頂きました。

 




今回の連載をはじめるにあたり、旅する絵描きのDENALIさん(大野舞さん)にイラストを描いて頂けることになりました。DENALIさんはご存知、日本の神様カードのイラストやよしもとばななさんの「もしもし下北沢」などの挿絵を書かれていらっしゃいます。

 


ちなみに、この神様カードにも描かれている建速須佐之男命と建御名方神は私の大好きな神様ですが、

どちらも諏訪神社など縁のある神社でイメージされるお姿にぴったりなので、本当にビックリしてしまいます。


続けて言及するのも恐れ多いですが、

不肖私を描いていただいたイラストが、あまりにも特徴を捉えてて、

凄すぎると、編集部でも話題に、(笑いに)なったそう。

 

まだ、ご本人にご挨拶もしたこともない身でありながら、編集部の方を通じお願いさせて頂いたところ、

なんと快く応じて頂き、感無量です。。。有り難き仕合せ。



 

さて、記念すべき第一回目の御山は小御嶽山になります。

歩いて頂いたモデルさんは、玉井祐子。 富士山大好きな、キリッとされた女性です。

途中、登りながらNYにモデルとして武者修業(ご本人曰く)に行かれたときの話を聞かせてくれました。

仕事は異なれども、プロフェッショナリズムとは何か?を常に考えていらっしゃる方でした。



ガイドを始めて間もない頃、御世話になっていた富士山五合目のガイド待機所は、

富士山小御嶽神社の本殿の真裏にあたりました。

 

仕事の日には、ここで支度を整え、出発前に必ず小御嶽神社にお参りをし、

五合目に無事帰ってくるとお客様数人をお連れして、またお礼参りに立ち寄る。

という日々を、計300回以上。

 

今思えば、なんとも有難い日々を過ごさせて頂いていたものです。


10年に渡り富士山に仕事に登らせて頂くことにより、

気づいたことがあります。

それは私達日本人と山との関わりは、想像以上に長く、深く、多様であるようということ。 


そもそも、日本神話のはじまり、「天孫降臨」は、海ではなく、山の頂に皇孫が降り立つことから始まっています。

それに比べると、レジャーとしての登山などはごくごく最近のことであり、ごくごく一部の楽しみ方だと思えてきませんか?


また、現代アルピニズムがいかに困難な事に挑戦しているとはいえ、その歴史はたかだか200年ちょっと。

近代装備で剣岳初登頂を目指していた明治陸軍が山頂で平安時代の錫杖を発見したのは有名な話です。


 

 

本連載は、「百名山」という名称をとっています。

ですが、108になるかもしれませんし、

人気がなければ33で終わる憂き目にあうかもしれません(苦笑

続けさせて頂ける限り、縁のある山々を巡っていきたいと思っております。

 

 

この記事を書いているただ今、氏神である犀川神社の山車が夜中であるにも関わらず、

二晩に渡って町内を練り歩き、途切れることのないお囃子の音が窓を通して聞こえてきています。

 

 

 

私はここに昨年の11月に引っ越してきましたが、

ささいなことでは以前住んでいたところとは、ゴミの出し方も、場所も違いますし、

曜日も違うのでそれに従わないといけません。

さらに町内会が生きている地域なので、都会ではないことですが、回覧板なども廻ってきてます。

 

そう考えますと、日本における神社や神道の神様は私達が生まれるずっと以前から日本にあるものですから、

 あとから生まれてきた私達が、それらについて学び、尊重することはごく当たり前なことかもしれません。


ただ、神様と呼ばれる存在が見えないわけですし、強制力もないし、放おっておいても村八分にされるわけでもなく、

一見、実害に繋がらない、ということですね(笑

 

それと同時に意味のないものが2000年以上も続くわけがない、と考えることも自然だと思います。

 

菅野覚明氏の著作の中に、

「日本人がこれだけモノ作りに優れている理由は、最終的に神の奉納するものを作っている、という意識があるからである」

というようなことが書いてありました。

 

こういった民族的特性も、長年神を祀り、生きてきた日本人の副産物といえるのではないでしょうか。

あるいはこれこそが、真のご利益といったものでしょうか。




私も、この連載を通じて、改めて歴史を学び、神話を学び、

最終的にはどこかの神社に奉納できるような、

そういう写真を撮っていきたいと考えております。


よろしくお願い申し上げます。


YH