書評・FALLLINE2018 旭川オートルートを行く

 

 憂鬱な月曜日を乗り切るための滑り手応援企画・雑誌・FALLLINEの書評、第二弾。

 

「旭川オートルートを行く」

文=浅川誠

写真=佐藤圭

 

 まずね、この二人の組み合わせが、間違いないんですよ。

 

まさか!」というような聞いたことのないアイデアがあって、

それを実現できるスキルのある滑りてと写真家と、あと誰か気の利いた文章の書ける人物が揃う。

 

ライダーと写真家の組み合わせの相性でね、

そのタッグの性格で、できあがった企画の良し悪しが決まりますからね。

 

この佐藤圭というカメラマンは、この「まさか!」という聞いたことのないアイデアを次々に送り出してくる、

アイデアが枯渇しがちな業界においてまさに企画のオアシスというべき人なんです。

 

 

だいたいの滑り雑誌の企画は、いくつかのパターンが考えられまして、

カメラマンも滑り手もそれぞれ得意とするストーリー、あるいは意識しないけどそっち系になってしまう

ストーリーがありまして、それは下記のようなものが考えられます。

 

 1・冒険的なストーリーで売る 

 

   例・「~ライン初滑降・極限の山を攻める」あるいは「世界の果てまで行ってス記ー」など、

      スティープや僻地でのスキー記録。たいしたターンが出来なくても、

      世界の果て感のあるロケーションで3ターン以上すればOK。

      山を攻められるはずはないが、刺激的な語感が重要の企画。

 

 2・身近で共感できる、あるいは心温まるストーリーで売る

 

   例・「ジモティーズ&ローカルズ がゆく」あるいは「索道員(りふとや)」など

     普段読者が滑っているようなエリアの知られざるストーリーやハートウォーミングなストーリーで、

     共感をさそう。読み終わったあとにはある種の「ほっこり」感が期待される。

 

 3・HOW TOあるいはガイドブック的な要素で売る。

 

          例・「オシャレ小枝(小枝→☓、小技→◯)でゲレンデジャック!」あるいは

      「パウダーガイド的~山放浪記」もなども同種。

      共感ではなく、読者の実利にもとづいた鉄板企画。

      なお、コアな読者をもつイメージが優先される媒体において、

      この企画を一度でも採用すると「魂を売った」「商業主義に走った」など、

      各方面から厳しい指摘をうける。

   

 4・インタビューその他、上記のミックス複合企画で売る。

 

    

  

など、大きく分けて4種の企画が考えられます。

 

で、話を元に戻すと、この佐藤圭というカメラマンは、上記4つのどのタイプでも、

オールマイティーにこなし、そしてその中に、必ず一つは独創的なアイデアを持ち込んでくるんですね。

 

FALLLINE 2015年の「1970年の北海道礼文島」なんてのは、まさに忘れられない記事で、

この人がいかにスキーの歴史に興味を持って、ある種のリスペクトを払っているか伝わってくるんですよ。

 

映像だけで育った最近の若いライダーたち(そんな世代がいるのか不明)がね、

何をやっても80年代の焼き直しかストーリーのないビジュアルだけになってしまうのは、

こういう風に、歴史に問うことを忘れているからなのですよ(完全に批評家きどり)

 

 

 

アルパインクライマーの山野井泰史さんがね、こう言っていたんです。

 

俺は池田常道さんの次に(山の)本を読んでいる

 

 

池田常道さんという方は元『岩と雪』編集長で、日本の山岳界の知性を代表する方なんです。

山野井泰史さんは、その人の次くらい本を読みまくっているから、

歴史を知っていて、次にどのような進歩が考えられるか、常日頃から考えていて、

あれだけ独創的な登攀が出来たのですね。(もちろん、ご本人の神がかった信念と努力も)

 

 

 

話がまったく本題から反れましたが、

この旭川オートルートを読んでいて最も感銘を受けた文はですね。

 

 

「誰かに認めてほしいと思ったこともなく、(中略)生きているとが実感できるのがスキーだ」

                                  

                                      by 浅川誠

 

の一節なんです。

 

これはね、大袈裟でなくて、読んでいて涙がでましたよ。

 

この旭川誠という人には、一度しかお会いしたことがなく、

それも、佐藤圭氏がはじめる予定のバックパッカー(以前は文房具屋件おもちゃ屋だった)で、

ビールを飲みながらホコリ被った店内でTAMIYA模型のデッドストックを一緒に探す、

という訳のわからない時間を過ごしたことしかないのですが、

その短い時間の中でも、ゴールドラッシュのように目を輝かせて模型と向き合う浅川氏をみて、

この人は筋金入りの少年だ!と思いましたね。

 

 

またまた脱線しましたが、

そう、感銘を受けた彼の一文です。

 

 

忘れがちになりますけど、

人はね、誰かに認めて欲しくてスキーをする訳ではないんです。

 

SNSの登場によって、訳がわからなくなってますけど、

スキーっていうのは自分のためにするものじゃないですか。

 

 プロになると、雑誌のためとか、スポンサーのためとか、生活のためとか、

社会の関わりで止むをえぬ事情がある訳ですが、

それでも、誰かに認めてほしくてスキーをするようになったら、

 

それは地獄なんですね。

  

これは、何もプロだけではなくて、週末の愛好家の方にも言えるんです。

雪山に行くのが、いつの間にかSNSでイイネをもらうためになったら、それは、苦しいじゃないですか。

 

スキーっていうのは、もともとが消費活動(スキーを滑ると作物が育つ訳ではない)なわけですから、

せめて、我々の中では、滑り終わったあと本来は誰かと共有しなくても、

満足するものであったらいいなと思うのです。

 

別にSNSやその憂鬱な機能であるシェアがNGだといっている訳ではなく、

その発想と順序がポイントかと。

 

この浅川誠と佐藤圭というコンビは、

その順序を踏み外すことなく、はじめは心底楽しみながら、そして最後には、

 

「決してまともな休日とはいえない長い一日が終わった」

 

と締めくくっているように、本人も最後はよくわからなくなりながらも、

実はその写真から、出処の不明な、ある種の清々しさが伝わってくるんですね。

 

それはP74のリフト券を買うのも、待ちきれないような浅川誠の後ろ姿や、

P77の厳寒の旭川を家路につく愛車の後ろ姿から伝わってくるものなんです。

 

こういった感覚が、少年の日を思い出させてくれるんです。

 

 

 

 

まあ、色々好き勝手書きましたけど、

 

来るべき冬の一日の終わりには、

 

P77の浅川誠の愛車のように、最後は訳わからなくなりながらも、

クタクタになるほど滑り倒して家路につけたら、

 

それは幸福な一日に違いないですよ。

 

みんな本当は、そういう思いがしたくて、

何かに夢中になるんじゃないかとさえ、思うんです。

 

 

YH